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メッツェンメチル

ヘタリア・京極堂シリーズ等の無節操な二次創作と、オリジナル。傾向等は最古記事をご覧下さい。
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025.Antithese(中関)

2007/12/30(Sun)21:32

ああいう人間はとても困るというのが、自分の本音だった。

自らの主義主張が出来ず、どちらともつかない曖昧な行動を取る者は少なくないし、それはある種で処世術の役割も果たす――その弱さ、優柔不断さは武器となる。

だが――自らの主体を持たず、此岸の住人なのか彼岸の住人なのか、どちらともつかないような曖昧さの権化のような者は、きっと多くはない。

だから困るのだ、と思った。


自分を困らせている張本人の名前は関口巽という。
関口は恐らくは此岸の住人なのだが、時折酷くあちら側に惹かれてしまう。
惹かれて――引き込まれそうになる。


自分はとりあえずそれを止めるのだが、もしかしたら彼岸に行った方が関口の為なのかも知れないと、よくわからなくなる。
とても困る。
だから自分は――中禅寺秋彦は、関口巽の事が割合苦手である。
苦手と言うより、嫌いなのだろうか。
憎悪とはいえないが、嫌悪の対象ではあるかもしれない。


ふらふらと、あちらに行ったり此方に来りするその姿は、妙に自分を誘う。
境界足れと思っている自分を、誘う。
恐らく自分と関口は似ていないのだろうと思った。
人間の個性など所詮は、限られた札を永遠に交換しているだけに過ぎないというのに――運が良かったのか悪かったのか、彼と自分は似ていない。
似ていないから苦手なのかと思うと、自分はまだ幼いと失笑が漏れる。


「思うんだがな、中禅」
「何です、榎木津先輩」
「お前多分、関の事好きだぞ」


似ていないといえばこの奇人も随分自分に似ていない。
彼の場合は、札遊びにおけるジョーカーの様な物だから仕方ないのかもしれないが。
意味のわからない発言を、ジョーカーはする。

「それは違うと思いますよ。確かに僕は彼の世話をよく焼いていますから、抱いている感情は好意に近いだろうという推測が立つのは仕方がありませんが。しかし僕が彼の面倒を見ているのは、ただ我慢がならないだけで、どちらかといえば嫌悪に近い。潔癖症の人間を、汚れた部屋に放置している状態に似ています」
「お前はぐだぐだと喋るが、言いたい事がチッとも伝わらない」
「簡潔に言うと、僕は関口が好きではありません」
「なら僕が関口が好きだといっても良いのか?」
「好きだと言うのは自由でしょう」
「好きに任せて関口を襲うかも知れない」
「それはやめてください。彼岸と此岸をうろうろされると目障りなので」
「嫌なんじゃないか」
「ですから――」

「中禅寺、お前は関が好きだよ」

奇人は高らかに笑うと、颯爽と去っていってしまった。
確かに彼は奇人だが、間違った事など言わないというのに、珍しい事もある。

とりあえず本を返しに行って――それから部屋に戻ろう。
そう思い、歩き出した。


Antithese-否定的主張
(弘法は時折筆を誤るが、探偵は決して間違わない)
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